他人の夢の中へ入り込んだり、自分の夢に相手を招き入れたりできるひみつ道具が「夢はしご」です。面白いのは、自分の夢に相手を入れた側が夢の世界の主導権を握れるという、夢ならではの力関係にあります。
夢の中まで入り込める道具
コミック28巻のエピソードでは、のびたが少し楽しい夢を見たかっただけなのに、ジャイアンとスネ夫がのびたの夢へ入り込んできます。現実で振り回され、夢の中でも振り回されるという流れがなんとも気の毒なんですよね。眠っている間くらい自由でいたいはずなのに、そこまで友達が乗り込んでくるのが、この話の妙な怖さでもあります。
夢はしごを使うと、夢から夢へはしごをかけるように移動できます。現実の移動道具ならどこでもドアが定番ですが、夢はしごは現実の距離ではなく、眠っている人の内側へ移動する道具です。目的地が場所ではなく夢そのものというあたりに、22世紀の技術の不思議さがあります。
夢を自由に行き来するひみつ道具。もう何がなんだかわからない ドラえもん28巻 夢はしご P87:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
この話で重要なのは、夢に入るだけでなく、誰の夢にいるかで立場が変わることです。自分の夢に相手を招き入れれば、自分の思い通りに場面を作れます。逆に相手の夢へ入り込むと、その夢を見ている本人の世界に付き合うことになります。夢の世界だから何でも自由という単純な話ではなく、夢の所有者という考えてみれば当たり前の、けっこうはっきりしたルールがあるのです。
夢のりとの組み合わせがうまい
ジャイアンとスネ夫にいい様にされるのびたを見たドラえもんは、夢はしごだけで解決しません。夢同士をくっつける夢のりを使い、ジャイアンとスネ夫の夢をそれぞれの母ちゃんにつなげてしまいます。現実では強気な二人が、夢の中で母ちゃんに追いかけ回されるというオチが、短い話の中できれいに効いています。
夢はしごは移動の道具で、夢のりは接着の道具です。単体でも十分に奇妙な道具ですが、組み合わせると夢の世界が通路のようにつながり、逃げ場のない迷路のようになります。ドラえもんの道具は一つだけでも便利ですが、こうして別の道具と合わせると効果が一段変わることがあります。ゆめグラスが夢をのぞく道具だとすれば、夢はしごは夢の中へ入る道具で、夢のりは夢同士を編集する道具です。夢を観察、侵入、接続する技術が別々に存在するのが、ドラえもん世界のすごいところです。
夢疲れとでもいうのだろうか、不思議な現象である ドラえもん28巻 夢はしご P91:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
夢の中で追いかけ回された疲れが、起きた後にも残っているように見えるのも面白い描写です。夢はただの幻ではなく、体感として本人に影響する世界として扱われています。そう考えると、夢はしごはただの娯楽道具ではなく、使い方を間違えるとかなり危ない道具でもあります。
夢を物体のように扱う未来技術
夢はしごの不思議さは、夢というつかめないものに、はしごをかけられる点にあります。夢は頭の中で起きる現象のはずですが、この道具を使うと、まるで部屋から部屋へ移動するように夢の中へ入れます。22世紀では、脳内のイメージや感覚が、外から操作できる空間として解析されているのかもしれません。
同じ夢系の道具でも、気ままに夢見る機は見たい夢を選ぶ方向の道具です。立ちユメぼうは起きたまま夢のような体験をする道具で、ムユウボウは夢を消す方向の道具です。夢はしごはそれらと違い、夢と夢を入り口と出口でつなぐ道具です。夢を個人の内側に閉じたものとして扱わず、他人と共有できる場所にしてしまうという点が独特です。
もし現実にあったら、亡くなった人と夢で会う、スポーツや演奏の練習を夢の中で繰り返す、遠くにいる人と同じ夢を見る、といった使い方も考えられます。ただし、相手の夢へ入ることはプライバシーの問題に直結します。相手の夢に入れば、相手の空想や不安の中へ自分から入っていく行為です。日記を読まれるより深いところを見られる可能性があります。ドラえもんの短編では笑い話として処理されていますが、夢はしごを普通に売るなら、使用許可や記録の扱いなど、かなり厳しいルールが必要になるはずです。
夢の体験が起床後の疲労感につながるなら、夢はしごは教育や訓練にも使えそうです。ツモリガンがやったつもりの体験を作る道具だとすれば、夢はしごは眠っている時間を使って体験の場を共有する道具です。夢なので失敗しても現実のけがには直結しませんが、感覚としては本人に残る。その曖昧さが、便利さと怖さを同時に生んでいます。
ただし、夢の中で得た経験がどこまで現実に持ち越されるのかは気になるところです。起きた後に疲れが残るなら、感情や記憶もある程度は残るはずです。怖い夢に入り続ければ現実でも気分が沈むかもしれませんし、楽しい夢を共有できれば翌日の関係が良くなるかもしれません。夢はしごは、睡眠中の時間を単なる休息から、もう一つの生活空間に変えてしまう道具です。
そう考えると、夢はしごはかなり高度なコミュニケーション道具でもあります。言葉で説明しにくい気持ちや景色を、夢の中でそのまま共有できるからです。自分の見ている世界へ相手を招くというのは、日記を読ませるよりも、写真を見せるよりも深い自己開示になります。だからこそ、使う相手を間違えると大きな問題になります。
のびたらしい夢の災難
のびたの夢にジャイアンとスネ夫が乗り込んでくる展開は、のびたが普段どれだけ二人に振り回されているかをそのまま夢の世界に持ち込んだ形でもあります。夢の中ならば理想の自分になれるはずなのに、そこさえ現実の人間関係から逃げきれません。だからこそドラえもんが夢のりで構図を反転させる終わり方が効きます。力で勝つのではなく、夢の接続という道具の性質を使って、二人が苦手な相手の夢へつなげる。のびたを直接助けるのではなく、道具の仕組みとキャラクターの関係性がぴったり重なった、かなりドラえもんらしい解決です。
夢はしごは、眠っている間のどこへでも行けるような夢のある道具です。同時に、夢が個人的なものだからこそ、そこへ踏み込む緊張感もある道具です。眠って夢を見るという当たり前の行為に、こんな角度からドラマを作ってしまう発想が、藤子F不二雄の道具設計の面白さだと感じます。
夢の主導権を誰が持つのか
夢はしごで特に面白いのは、夢に入った人が必ずしも自由に動けるわけではない点です。夢を見ている本人の世界に入る以上、その夢のルールや雰囲気に巻き込まれます。自分の夢なら強く出られても、相手の夢では相手の想像力が場を支配する。現実とは違う力関係が生まれるのです。
のびたは現実では弱い立場に置かれがちですが、自分の夢なら本来は主導権を握れるはずでした。それなのにジャイアンとスネ夫に押されてしまうところが、いかにのびたが二人への苦手意識を持っているかを表しています。夢の中ですら負けてしまうのは情けないですが、そのぶんドラえもんの助けが効きます。
夢はしごは、夢を移動する道具であると同時に、その人の心の力関係を見せる道具でもあります。誰の夢に入るのか、誰を招くのか、どこで主導権が切り替わるのか。そこまで考えると、ただ楽しい夢旅行の道具ではなく、かなり奥行きのあるひみつ道具です。




