うちでの小づち

うちでの小づちは、願いをかなえてくれるのに、願った人が思い描いた近道では動いてくれないひみつ道具です。昔話の万能アイテムに見えて、実際には願望と代償の関係をかなり意地悪に見せてくる道具なんですよね。

願いはかなうが、道順は選べない

てんとう虫コミックス8巻のうちでの小づちでは、背が低いことを気にしているスネ夫が、ドラえもんに願いをかなえる道具を出してほしがります。のび太はそのやりとりを見て、ドラえもんが本当に小づちを持っていないのかを確かめます。すると、ドラえもんは実は持っていたものの、あまり使いたがらない顔をするんですよね。

この不安げな反応が、この道具の性格をよく表しています。もしもボックスのように世界そのものを切り替える道具とも違い、ラッキーガンのように運任せで結果が転がる道具とも違います。うちでの小づちは願いの着地点だけを決め、そこまでの過程をかなり回りくどく組み立てます。

うちでの小づちを持っているドラえもん
不安げなドラえもんの顔の意味とは

ドラえもん8巻「うちでの小づち」P96:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄

ドラえもんがスネ夫へすぐ貸さなかったのは、意地悪ではなく警戒です。願いをかなえる道具ほど便利に見えますが、願いの文面と現実の動きの間にズレがあると、使い手は振り回されます。うちでの小づちはまさにそのタイプで、結果だけ見れば願いは成立しているのに、本人の満足感はかなり怪しいところへ落ち着きます。

どら焼き一つにも労働がついてくる

ドラえもんが試しに願ったのは、どら焼きを食べたいという単純なものです。小づちを振るといきなりどら焼きが出るわけではなく、まず現れたのは10円玉でした。そこから10円玉を追いかけ、荷物の下に入り込んだ硬貨を取ろうとした結果、ドラえもんとのび太は引っ越しの手伝いと勘違いされます。

この流れがうちでの小づちらしいところです。どら焼きが欲しいという願いは、最終的にはかないます。けれども、棚からぼたもちのようにはいきません。荷物を運ばされ、文句を言いながら働き、そのお礼としてどら焼きを出される。願いの成就というより、偶然を装った労働報酬に近い形です。

どら焼きを食べるドラえもん
文句がおおい2人

ドラえもん8巻「うちでの小づち」P98:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄

ドラえもんの表情を見ると、願いはかなったのに釈然としていない感じが強く出ています。これが普通の願望実現系道具なら、どら焼きがぽんと出て終わりです。けれどもこの小づちは、願いをかなえるために周囲の出来事をつなぎ替え、本人にもそれなりの負担を背負わせます。便利なのに楽ではないという、かなり藤子作品らしいひねりです。

この発想は、願いの処理がずれるねがい星や、願いの代わりに別の問題を連れてくる道具群にも通じます。ドラえもんの道具は、欲望をそのまま叶えるほど単純ではありません。願った本人が何を受け入れられるのかまで、物語の中で試されてしまうんですよね。

しかも、どら焼きの例はドラえもん本人が体験しているので、道具の説明としてかなり説得力があります。ドラえもんは普段、のび太に道具の注意点を語る側ですが、この話では自分も小づちの回りくどさに巻き込まれます。未来の道具を知り尽くしているはずのドラえもんでさえ、願いのかなえ方までは完全に読めない。そこに、この道具の扱いにくさが出ています。

お小遣いと切手アルバムの割に合わなさ

のび太が願うのは、お小遣い1000円です。これも一見すると単純な願いですが、小づちが用意した現実はかなり苦いものでした。友達が1000円札と手紙を持ってきて、借りていた切手アルバムをなくしたため1000円で許してほしいと告げます。

のび太にとっては、現金1000円は確かに手に入りました。けれども、失った切手アルバムの価値を考えると完全に損です。うちでの小づちは願いの表面だけを見て、お金が欲しいならお金を渡す出来事を起こします。ただし、そのお金が得なのか、うれしいのか、納得できるのかまでは見てくれません。

ここはばっ金箱カネバチのように、お金をめぐる道具と並べると見え方が変わります。ドラえもんでは、お金を楽に手に入れようとする話ほど、どこかで帳尻が合わされます。うちでの小づちの場合、その帳尻合わせが失くし物という形で出るので、願いの達成と損失が同時に起きる構造になっています。

のび太にとって痛いのは、1000円を受け取った瞬間には得をしたように見えることです。後から手紙を読んで、実は切手アルバムの代償だったと分かる。この順番がうまいんですよね。先に損失を知らされていたら、のび太は1000円を願いの成就とは受け取れません。小づちは、喜びを一瞬だけ見せてから、現実の帳尻を突きつけてきます。

スネ夫の背は伸びたが、方法がひどい

スネ夫の願いは、のび太より身長を高くしたいというものです。コンプレックスから出た願いとしては分かりやすいですが、小づちのかなえ方はまたしても真っすぐではありません。スネ夫が使おうとした小づちは手から抜け、ジャイアンの頭に当たります。

怒ったジャイアンが小づちを取り上げ、スネ夫の頭を殴る。するとたんこぶが大きくふくらみ、結果としてのび太より背が高くなります。願いは達成していますが、これを成功と呼ぶにはあまりにも乱暴です。背が伸びたのではなく、頭上に一時的な高さが足されたというだけなんですよね。

背が低いスネ夫
病院で診てもらう必要あり

ドラえもん8巻「うちでの小づち」P99:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄

このオチがあることで、うちでの小づちは願望実現というより、言葉の抜け道を突く道具に見えてきます。スネ夫は背を高くしたいと願いましたが、健康的に成長したいとは言っていません。小づちはその曖昧さを利用し、痛みを伴う方法で結果だけを成立させます。

似た怖さは、願いを無理やり現実に寄せる悪運ダイヤや、結果のために人の心理をねじるギシンアンキにもあります。未来の技術なのに、道具の処理が妙に昔話の罰当たり感を帯びている。そこがこの話の読後感を面白くしています。

スネ夫の願いが身長である点も、かなりキャラクターに合っています。スネ夫は家の豊かさや持ち物で優位に立つことが多い一方、体格ではジャイアンほど強くありません。のび太より高くなりたいという願いは、小さな見栄とコンプレックスが混ざったものです。だからこそ、たんこぶで一時的に勝つというオチが、スネ夫の願望の浅さまで含めて効いています。

楽をしたい願いほど、遠回りになる

うちでの小づちは、願いをかなえる道具でありながら、楽を保証する道具ではありません。むしろ、楽をしたい気持ちで振るほど、遠回りの現実を突きつけてきます。どら焼きなら荷物運び、お金なら損失の補填、身長ならたんこぶ。願いは成立しているのに、使い手が思い描いた幸福とは少しずつ違っています。

ここがドラえもんらしいところです。ひみつ道具は夢の装置ですが、夢だけを甘く見せるためにあるわけではありません。願いの雑さ、準備不足、相手への配慮のなさがあると、道具はそこを容赦なく突いてきます。うちでの小づちは、昔話の道具を未来の技術へ置き換えながら、願望には必ず過程がついてくるという感覚を残していきます。

また、この道具は願いを言葉通りに処理する怖さも持っています。欲しいもの、なりたい状態、手に入れたい結果だけを考えると、そこへ至る過程が乱暴になります。どら焼きもお金も身長も、結果だけなら成立しています。けれども、その途中で本人が納得できるか、周りに迷惑をかけないか、痛みを背負わないかは別の話です。

昔話のうちでの小づちには、願いをかなえる縁起物の明るさがあります。ドラえもん版はその明るさを残しながら、未来の道具らしいシビアさを混ぜています。願いをかなえる技術があっても、願う側の言葉が雑なら結果も雑になる。子どもの頃にはギャグとして読めて、大人になると契約書の抜け穴のようにも見えるところが、この道具の味です。

スネ夫ものび太もドラえもんも、それぞれ願いはかなっています。けれども誰もすっきり得をしていない。この後味の悪くなりすぎない意地悪さが、うちでの小づちをただの便利道具ではなく、ドラえもん世界の願いと代償を考える道具にしています。

おすすめの記事